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クレメンス7世 (対立教皇) : ウィキペディア日本語版 | クレメンス7世 (対立教皇)[くれめんす7せい]
クレメンス7世(, 1342年 - 1394年9月16日)は、ウルバヌス6世の即位無効を主張するフランスの枢機卿らによってローマ教皇として選出された対立教皇である。クレメンス7世の即位により、正統性を主張する2人(後に3人)の教皇が同時に並び立つ教会大分裂の時代(1378年 - 1417年)が始まった。彼は、フランスのアヴィニョンを本拠とした最初の「アヴィニョン対立教皇」である。本名はロベール・ド・ジュネーヴ()。 == 生涯 ==
=== 聖職者となる === 1342年、ジュネーヴで生まれ、ロベールと名づけられた。父はジュネーヴ伯アメデウ3世(1311年頃 - 1367年)、母はオーヴェルニュ伯兼ブローニュ伯ロベール7世(1282年頃 - 1325年)の娘マオ(, 生没年不詳)。兄が4人、姉妹が7人いる。母方の従姉であるオーヴェルニュ女伯兼ブローニュ女伯ジャンヌが、1349年にフランス王ジャン2世の後妻になったため、フランス王家と親しい間柄となった。 聖職者の道に進んだロベールは、パリの司教区参事会員となった後、1359年に当時アヴィニョンにあった教皇庁の書記官になる。その後、1361年にテルアンヌ司教、1368年にカンブレー大司教に昇格し、1371年5月30日にはグレゴリウス11世によって枢機卿に任命された。
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